八田與一氏を知っていますか?
お恥ずかしながら、私は知りませんでした。
八田與一(はったよいち)氏は大正から昭和初期に活躍した水利技術者だそうです。
(1886年-1942年) wikpedia
台湾で最も尊敬されている日本人です。
時代は第1次大戦終了後。日本はドイツが植民地支配をしていた南洋諸島(フィリピン・台湾など)を委任統治していた。
台湾においても台湾総督府が制定され、実質日本が治世を行っていた。
大正7年(1918年)、與一は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。嘉義・台南両市域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。そこで與一は民政長官下村海南の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、大正9年(1920年)から昭和5年(1930年)まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万㎥の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路も嘉南平野一帯に24,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が嘉南大圳と呼ばれている。(wikipedia抜粋)
八田與一氏が台湾で尊敬を受けているのは、彼がこの事業の中で、人格者としてのパーソナリティを発揮したからだろう。
1つだけ例を挙げてみると。
この事業に際し、残念ながら殉職してしまった人達を慰めるための合同慰霊祭が計画された。同時の世相としては、日本が台湾を統治していたため、多くの日本人は日本人のための慰霊祭を考えていたようであるが、八田は国籍に関わらず全ての殉職者を対象とした慰霊祭を計画した。想像するに上層部とはかなりもめたと思われる。(よくやったなあ)
現場現地主義の八田にとっては、計画を作成、指揮している日本人も、実際に作業に従事している台湾、韓国人も同等の意識があったのだと思う。
八田與一氏のことは弊社の社員の一人から教えてもらいました。
「自分は八田與一氏のように、現地の人と一緒に汗水たらして働き、現地のためにつくしたい。
その結果、日本あるいは日本という国が他国からの尊敬をうけるようになれば望外のことだろう。」
是非、その夢を実現させて欲しい。そのための協力は惜しまない。
八田與一(はったよいち)氏は大正から昭和初期に活躍した水利技術者だそうです。
(1886年-1942年) wikpedia
台湾で最も尊敬されている日本人です。
時代は第1次大戦終了後。日本はドイツが植民地支配をしていた南洋諸島(フィリピン・台湾など)を委任統治していた。
台湾においても台湾総督府が制定され、実質日本が治世を行っていた。
大正7年(1918年)、與一は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。嘉義・台南両市域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。そこで與一は民政長官下村海南の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。事業は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、大正9年(1920年)から昭和5年(1930年)まで、完成に至るまで工事を指揮した。そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万㎥の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路も嘉南平野一帯に24,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が嘉南大圳と呼ばれている。(wikipedia抜粋)
八田與一氏が台湾で尊敬を受けているのは、彼がこの事業の中で、人格者としてのパーソナリティを発揮したからだろう。
1つだけ例を挙げてみると。
この事業に際し、残念ながら殉職してしまった人達を慰めるための合同慰霊祭が計画された。同時の世相としては、日本が台湾を統治していたため、多くの日本人は日本人のための慰霊祭を考えていたようであるが、八田は国籍に関わらず全ての殉職者を対象とした慰霊祭を計画した。想像するに上層部とはかなりもめたと思われる。(よくやったなあ)
現場現地主義の八田にとっては、計画を作成、指揮している日本人も、実際に作業に従事している台湾、韓国人も同等の意識があったのだと思う。
八田與一氏のことは弊社の社員の一人から教えてもらいました。
「自分は八田與一氏のように、現地の人と一緒に汗水たらして働き、現地のためにつくしたい。
その結果、日本あるいは日本という国が他国からの尊敬をうけるようになれば望外のことだろう。」
是非、その夢を実現させて欲しい。そのための協力は惜しまない。
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